ゼウス、村を洪水で沈める
ある夜、大神ゼウスとその子ヘルメースは疲れた旅人をよそおい、ある村に一夜の宿を乞いに訪れました。
しかし、泊めてくれる村人は見つからず、とうとう、村はずれのみすぼらしい最後の一軒の戸口を叩くことになりました。
「こんな時間にすまないが、我ら二人を泊めてくださらぬか」
「ええ、ようございます。ごらんのように、たいしたお持てなしはできませんが」
「我々は神々である。この不遜な村に、天罰を下すためにやってきたのだ。が、最後のチャンスもやろうとしたのだ。一軒、一軒、家を訪ねたが、村人は誰一人、私たちに親切にしてくれなかった。その上、戸口にも出てはこなかった。
そのため、この村を水の底に沈めてしまうことにした。しかし、あなた方二人は助けることにした。私たちの後について丘までくるがよい」
村は洪水で水に没し沼になります。同時に神殿があらわれ、老夫婦は神官になることをゼウスに願います。
バウキスとピレーモーン、樹木に変身
木の葉は身体を多い、頭を被い、最後には顔も被いはじめました。二人は口が利けるあいだ、別れの言葉をかわしあいました。
「さようなら、愛しい人よ」
二人同時に言いおえた瞬間、木の葉はすっかり二人の顔を隠していました。
[ギリシャ神話ネタ99]
▶︎【ギリシャ神話の大洪水】バウキスとピレーモーン
聖書[ノアの方舟]と同じような大洪水の話はこちら、【ギリシャ神話のノアの方舟】デウカリオーンとピュラー
【イメージ制作】
三昧の絵を互生しましたが、それどれの絵画があまりにかけ離れた表現です。コラージュしても、イメージがバラバラのままです。(謝)
ギリシャ神話では美しい老夫婦の最後を描いた絵画はなく、ただ一枚Janus Genelli作がありました。気に止まっている鳥はワシで、ゼウスをあらわしています。
また、ゼウスとヘルメースの絵は、おそらくこのギリシャ神話のシーンを描いています。
大洪水の絵画は、ジョン・マーティン作。彼は多くのキリスト教の『大洪水』『ソドムとゴモラの滅亡』『エジプト第七の災禍』など終末絵画を描いています。
また、堕天使ルシファーに関する万魔殿なども描いています。ミルトンの『失楽園』にかなり影響されているのではないでしょうか。