クリムゾン・キングの宮殿、荘厳な雰囲気の中で完結!
『クリムゾン・キングの宮殿』アルバムの最後の5曲目が「クリムゾン・キングの宮殿」です。
この曲はアルバムの締めくくりとして位置づけられ、その荘厳な雰囲気と重厚な楽曲構成が多くのリスナーに強い印象を与えます。
「あやつり人形」が「あやつり人形」を操るイメージ。
イメージに使ったこの人形は25年以上前からずっと我が家にいますが、「the puppets dance」にふさわしい人形だと思いませんか。
私はこのあやつり人形が好きで、Wa-Mind のイメージ画像3点にも使用しました。
The Court of the Crimson King
including The Return Of The Fire Witch and The Dance of The Puppets
On soft gray mornings widows cry
The wise men share a joke
I run to grasp divining signs
To satisfy the hoax
The yellow jester does not play
But gently pulls the strings
And smiles as the puppets dance
In the court of the Crimson King
賢者たちは冗談を言い合う
私は占いのサインをつかむために走る
戯れを満足させるために
黄色い道化師は遊ばない
優しく糸を引く
人形が踊るのを微笑みながら
クリムゾン・キングの宮廷で
この未亡人はなぜ泣いているのでしょうか。とても気になります。
キング・クリムゾンのジャケットを作るのは楽しく、なぜか他のアーティストよりも納得のいく仕上がりになります。
クリムゾン・キングの宮殿[シド・スミスの解説]
シド・スミス著『キング・クリムゾンの宮殿〜風に語り手』より
1968年頃から、シンフィールドは言葉を組み合わせはじめ、それからそれに彼自身が作ったディラン風でドノヴァンっぽい曲を合わせた。シンフィールドはもともとその曲を、オーディションを受けて彼のグループ、インフィニティに加入したイアン・マクドナルドのために書いていたわけではなかったことを認めている。
ただその後『宮殿』を引き受け、それをまるで別の、壮大な作品に作り上げたのはマクドナルドだった。
この曲で使用されているメロトロンの音と、塊となって聴こえる、駆り立てるような、そして吹き抜けるようなコーラスを聴くと、この曲が小さなアコースティック・ギターで書かれた作品だと想像することは容易にはできない。
この曲にかけられた長いレコーディング期間のことは、マクドナルドの日記に記されている。もっとも典型的な記述の、1969年2月4日火曜日には……〈午後4時に上がる。午後6時リハーサルへ。ピートといっしょに食事をとるためにスタンダード・レストランへ行く。12時にアンディ(DJのアンディ・ダンクリー)のところへ出かける。午前1時半までレコードを聴いてから、曲を書くためにピートの家にいく。「クリムゾン・キングの宮殿」で上手くいったことがいくつかあった。午前7時帰宅。7時15分就寝〉とある。
これは日記で最初にこの曲について触れたものだ。この曲が完成したものとは少し違っていたことも日記ではほのめかしている。それから1週間後、マクドナルドとシンフィールドは、リハーサルと、シンフィールドが担当していた舞台照明の仕事を終えると、シンフィールドのフラットに戻った。
〈「クリムゾン・キングの宮殿」をもう一度仕上げようとする。2時15分帰宅。音を出してみる。4時15分就寝》。
3月11日火曜日、メンバー全員でこの曲のリハーサルをした。シンフィールドは思い起こす。「なんて言えばいいのかな、私は有頂天になっていたと思う。自分が死んで天国に行ってしまったんじゃないかって本当に思ったぐらいだったよ」
同じ週の金曜日、彼らはリハーサルで再びこの曲に取り組みはじめた。彼らが最初のギグのために準備している頃には、フラム・パレス・ロードの地下室は常連のファンや音楽業界からの偵察隊などを魅きつけていた。
このバンドが持つパワーや強烈さについての噂は広まっていた。マクドナルドは4月3日木曜日のリハーサルが特に圧倒的な出来だったことを記している。
《何曲かをプレイする。これまでの中でもベストなソ口だ。「クリムゾン・キングの宮殿」のときに叫ぶ》。
それから1週間も経たないうちに、クリムゾンはスピークイージーでの初めてのステージに立った。噂は急速に広まっていた。1ケ月のうちにバンドは、BBCのジョン・ピールの番組「トップ・ギア」のためのセッション録りをブッキングされていた。
5月6日火曜日の午後、「21世紀のスキッツォイド・マン」と「風に語りて」に加え、この曲も初めてのオフィシャル・レコーディングが行なわれた。
それらの曲は、数日後の5月11日日曜日にオンエアされた。しかしクリムゾンはプリティ・シングスとともにハーヴァーストック・ヒルにある力ントリー・クラブでプレイしていたので、マクドナルドは、父親に番組を録音するように頼まなければならなかった。
アルバムをレコーディングしている間に土壇場で追加したり変更したりしたにもかかわらず、この曲が持つ聖歌のようなテーマはオーディエンスとともによくなっていった。
けれどもこの曲をライヴで演奏することは、問題がないわけではなかった。ときどき起こすメロトロンのむら気のあるチューニングのせいだ。コーラスで使うときにはよく、マクドナルド、ジャイルズ、レイクによるハーモニーをダメにしてしまった。スタジオではそうした間題は起こらなかった。
7月21日月曜日には、最終的なトラックを上げようとしたが止めにした。そのため火曜日は、もっと曲を引き締めるためにメロトロンの追加収録に時間をかけたので、結局ヴォーカルは次の日に録音された。
オーブニングでメロトロンが波のように押し寄せるのは、王のためのファンファーレだった。マクドナルドは説明する。
「僕が好きなのは、一番魅力的な音、F#のところだ。最初のコードの3番目の長調音を次のコードまで続けることですごく不快な音になるんだ(フラットになった5度の音だね)。
実際にはコードを変えないで魅力のある音から不快な音へと移っている。それから続いている、上昇していく感じのサウンドは、ジェームス・ブラウンの曲から借りたものなんだ。
信じられるかい? あらゆる音楽から影響を受けた、クリムゾン・ミュージックの底流に流れているものだよ」
また、この曲にはマクドナルドによる抑えたソロ・パートが2つある。最初のものは、2分21秒のところでかき立てるようなメロトロンのストリングスがジャイルズによるさわやかなシンバルの音によって吹き上げられ、3番目のコーラスのあと、優しい牧歌的なフルートのソ口が入るところだ。
マクドナルドは、無理をしないで際立った音を出すためにフルートをかなり練習した。また彼は、締めのフレーズのソロ・パート(5分11秒からの部分)は、リムスキー/コルサコフの「シェヘラザード」——特に2楽章目のオープニングの楽節にある、編み込まれたクラリネソトのテーマ部分——から借りたことを打ち明けた。
メンバーの何人かがウェセックスのスタジオに不満を抱いていたものの、ただそこに置いてあるだけだった重要な楽器はアルバムを補強することになった。それらの楽器を使うことによって想像もできないサウンドがいくつか生み出された。
ティンパニとリード・オルガンの音は、両方ともサウンドに広がりを持たせるために加えられた。さらに何年も放っておかれ使用されていなかった、ボルドウィンの古い口ック・ハープシコードを発見したことは、バンドのイマジネーションを一層奮い立たせた。
彼らはマシーンをアンプに繋ぐと、楽曲のイメージから離れていることに気がついたが、それでもその不思議なサウンドの虜になっていた。マクドナルドは、楽器内部の挨を払い、チューンナッブした。それは結果としてアルバム全体にきらめくような存在感を出している。
これらの楽器は、綿密なチェックと、どうやって使用するかを理解するためにテストを必要とした。たとえば、パイプ・オルガンのリードで演奏される工アーのサウンドは、「21世紀のスキッツォイド・マン」のイント口で使われている。
マクドナルドとジャイルズは、(あやつり人形の踊り)のタイトルで知られる、タイトル曲の終わり近くの部分を2人で作ったとき、キーボードをただ適当に演奏していただけだった。
マクドナルドは、「僕とマイクが演奏した“E”のコードで終わるんだ。僕はそのトップ・パートをやっていて、マイクは僕の隣に座ってベースの終わりの部分を演奏している。全体にインプロヴィゼーションで演ったよ。僕たちはただ座って、暇つぶしをしていただけなんだ。そのときには仕上げられなかったけど、共同で演奏するインプロヴィゼーションの1つの例だね」
パイプ・オルガンによる遊園地のようなサウンドのあと、新しくレコーディングされた締めの部分でピシッと終わる。それからジャイルズによる騒然としたドラムが鳴らされ、思いがけないアコーディオンの音に突き刺すようなメロトロンが加わる。あらゆる種類の音がはき出されると、不安をあおるような不快なサウンドのあと、突然驚くべき終わりへと向かっていく。