はじめに 〜時を纏う静けさ〜
長い歳月を経て、風や雨に削られ、静かに枯れてゆく木々。その木肌に触れるたび、時の重なりが心に沁み入るような感覚を覚えます。
今日の一枚は、そんな枯れ木の曲線に寄り添う白い百合の姿。命が終わりゆくものと、今まさに咲こうとするものが、ひとつの画面に穏やかに共存しています。
自然が語る静かな物語に、そっと耳を傾けてみてください。
枯れ木が語る、やさしい彫刻
朽ちた木の肌は、どこか人の手を離れた美術品のよう。
自然が削り出したその曲線は、荒々しさではなく、包み込むような柔らかさをたたえています。
その中にそっと置かれた白い百合は、まるで彫刻のように、静かに、しかし確かな存在感で咲いています。
花器ではなく、自然そのものが「器」となったこの構図は、「和花写流」ならではの発想です。
白き百合に宿る気高さとやさしさ
花びらの白さは、ただ美しいだけではありません。
内に秘めた強さと、誰にも頼らず咲こうとする気高さ。同時に、しっとりと優しく包み込むような柔和さも感じさせます。
枯れ木の渋みと、百合の潔白。その対比が、互いの存在を際立たせ、見る人の心に静かな波紋を広げます。
そこには、どこか「祈り」にも似た雰囲気が宿っているようです。
ひとつの画に、ふたつの時が流れて
百合の命は今ここにあり、枯れ木の命はもう終わっている——
それでも、この一枚の中では、ふたつの時が寄り添い、ひとつの「静けさ」を描き出しています。
その静けさには、過去を受け入れ、今を慈しむようなやさしさがあります。
自然の力に身をゆだねるとき、私たちは「美しさとは何か」を、少しだけ理解できるのかもしれません。
結びに 〜器は語り、花が応える〜
枯れ木や切り株は、時に花器以上に雄弁です。
朽ちたものにこそ宿る品格と、そこに咲く花の潔さが出会ったとき、「和花写流」の世界は完成します。
この作品もまた、自然の器が花を迎え入れた一瞬を、そっと写し取ったもの。
命の終わりと始まりがひとつの場にある美しさ——それを伝えてくれる一枚として、静かに胸に残ることでしょう。